楽健法創始者 山内宥厳先生出演 インターネットラジオ ゆめのたね放送局 「こっからパーマカルチャ-」 二回目
こっからパーマカルチャー。
本日はですね、先週に引き続き、私からすると、人間国宝と呼ばせて頂きたい、とっても素敵なお客様をスタジオにお迎えしております。
奈良は、東光寺というお寺のご住職で、足踏みマッサージ楽健法の創始者であり、かつ、花のように香る天然酵母のパンを奥様と共に40年以上も焼き続けていらしゃる山内宥厳さんです。
長年積み重ねてこられた、多くの経験と知恵の宝庫から、今夜はどんな面白い話が飛び出してくるのか、私も今からどきどき、とっても楽しみにしています。これからの30分間、皆様どうぞ最後までお付き合いください。
この番組は、人と人、人と自然をつなぎ、活かしあいながら、もっと生き心地のいいやり方、関係性、暮らしを皆さんと共に考え、受け継がれていく命が喜ぶような未来を共同創造していく、そんなきっかけになることを願って発信しております。
いのちが喜ぶ方へ、まごころを込め、今ここにあるものを活かして、できることから始めよう。自分の足元から、心地いい世界を広げていこう。
その道すがら、同じ想いを抱く同士や仲間たちと繋がり、そんな世界が自ずと広がっていく、小さな輪も大きな輪も、共鳴し合っているのを感じながら、感動、喜び、ありがとうの気持ちが、その流れを後押しして、前に進むことを力づけてくれます。
真剣ではあるけれど、深刻にはならず、遊びに満ちた方法でお互いの夢を叶えあう、活かしあい、ありがとうの心で、繋がり、巡っていく、無限の可能性を秘めた新しい未知の世界、心通う、沢山の仲間たちと一緒に作っていけたら、それぞれの場所で、距離は離れていても、この時代、共に作っていってるんだっていうこと感じながら歩めたらどんなに心強く励みになるかなーと思います。
ラジオの前で、耳を傾けて下さってるあなたも、お気持ちがあれば、いつでもウェルカムです。そんなことを思い描きながら、今日もお届けしてまいります。
【MAYA】改めまして、こんばんは。始まりましたね、トークライブのコーナー早速行ってみたいと思います。そして、今夜の素敵なお客様をご紹介していきたいと思います。山内宥厳さんです。いただいているプロフィールをまず、ご紹介させていただきますね。
1936年徳島生まれ。詩人でいらっしゃいます。真言宗いわれ山東光寺のご住職、楽健法研究会主催者、楽健寺天然酵母パンの職人でもいらっしゃいます。1995年から2004年まで日本アーユルヴェーダ学会事務局長を務められました。40年余りに渡り、楽健法と楽健寺パンの教えを広め続けて、80歳になられる現在も、東奔西走なさっておられます。
著書には、詩集「雨季」、「がらんどうは歌う」「共生浄土(ぐしょうじょうど)」のほか、「二人ヨーガ楽健法」「楽健寺酵母でパンを焼く」があります。
お待たせしました。それでは宥厳先生、先週に引き続き、今週もよろしくお願いします。
【宥厳先生】どうもよろしくお願いいたします。
【MAYA】先週はですね、あの、楽健法の足踏みマッサージですかね、そのことについてメインで語って頂いたんですけども、えー、楽健と名前がつくところで巷で凄く、ね、結構広まっているというか、有名な天然酵母の一番走り?一番初めからねされているということなんですけれども。楽健寺酵母という酵母菌を使ったパンを焼かれているんですよね。
【宥厳先生】そうです。
【MAYA】はーい。これがまた、普通のパンちゃうなって感じですよね。
【宥厳先生】そうですね、あのー。パンをね、天然酵母パンというのを、まぁ、勉強しだして、それで、このパンを食べてると、どんどん体が元気になる、どんな病気でも治っちゃうというような、そういうパンが作れますということを、ある人から聞いて、研究を始めたのがきっかけですね。
【MAYA】あ~、そうなんですかぁ。へぇ~。
【宥厳先生】ええ。それで、結局それはね、あの~、パンというのは、発酵食品。という風に、世間ではまあ、言われているパンが多いんですけれど、
【MAYA】うん。はいはい。
【宥厳先生】実は、本当の「発酵食品」としてのパンを作っているっていうのは、現代ではほとんど無くなってしまってたんですね。
【MAYA】へぇ~。
【宥厳先生】それで、あのー、実はそれは、インスタントイーストと言って、
【MAYA】インスタントイースト?
【宥厳先生】今、ちまたで大手のパン屋さんが作ってるパンは全部インスタントイースト。だから、要は膨らんだらいいということですね。
【MAYA】ふくらし粉じゃないけど、あぁ~
【宥厳先生】膨らますためのイーストなんですね。
【MAYA】へぇ~。
【宥厳先生】膨らますということと、発酵させるということは、全く別なんですね。発酵させると、発酵食品としての、食品が出来上がる訳ですね。だけど、ドライイースト、生イースト、それから、今、天然酵母パンという名前で、盛んに売られているパンも多くは、インスタントイーストです。
【MAYA】そうなんですかぁ。あら~。
【宥厳先生】そうすると、発酵食品ではないんですね、それは。
【MAYA】えぇ~。
【宥厳先生】そうすると、そういうのは、例えば、グルテンフリーというのを考えているような人には、食べられないパンなんです。
【MAYA】そうなんですね~。いや~、それ、見分け方とか、知らない人とか多いんじゃないですか。
【宥厳先生】まずわからないでしょうね。
【MAYA】わかんないですよね。
【宥厳先生】だけど、私が作りだしたパンは、あの、完熟させたパンですね。発酵食品になってるパンです。そういうパンを、あのー、自分で、できるだけ家庭で焼いてもらいたい。
【MAYA】うんうんうん。
【宥厳先生】ということで、研究をして、それで、私は、昭和49年からパン工房をこしらえて、発売してるんですけれども、実際は、全く商売になったことはなくて、
【MAYA】えぇ~。そうなんですね。
【宥厳先生】40年経っても、未だに赤字のままね、ずっと継続してるわけです。
【MAYA】もう、奉仕と貢献のために、やむなく。
【宥厳先生】そうですね。毎週月曜日だけパンを焼いて、それでまぁ、40年続いたんですね。これが毎日、パン屋で飯食っていこうと思ったら、とても続かなかったと思います。
【MAYA】あぁ、そうですか。
【宥厳先生】だから、儲けるということは諦めて、その世間のインスタントイーストをパンだと思い込んでる人たちに、文明批評として、存在させようと思って、ずーっと続けてきたんです。
【MAYA】なるほど~。そういう意図というか、目的~
【宥厳先生】それで、私のパンを食べたい人は、自分で、ノウハウは公開しますから、自分で作ってくださいというコンセプトでやってきたんですね。
【MAYA】はぁ~。
【宥厳先生】で、私が火を消したら、パンが普及しなくなりますから、できるだけ作る人、自分で作る人を増やしたいと思って、ずーっと継続してきたわけです。で、このパンの特徴は、あのー、要するに原価計算などという、そういう、さもしいことはしない。
【MAYA】さもしいことはしない。
【宥厳先生】だから、りんごとか、人参とか、いろいろ材料をふんだんに使って。そういう原価計算なんてしてたら、次安い物を買ってくるとかいう、いやしい心が働くでしょ。そういういやしい心が働いたら、本当の贅沢な物は作れない。
【MAYA】うわー。かっこいいな。ふふふっ。それで、持続できてるということがまたね。
【宥厳先生】それで、まぁ。他のことで仕事をしながら、パンの方は、利益のことは考えないで、要するに、面白いから作る。楽しいから作る。
【MAYA】それと、社会活動というか、あれですよね。
【宥厳先生】そうですね。
【MAYA】革命的な
【宥厳先生】それで、私のパンを丁度作り出して、7、8年ぐらい経ってから、朝日新聞が、かなり大きな記事で全国版で紹介してくれたんですね。これがきっかけで、日本中に天然酵母パンという言葉が一般化したんです。
【MAYA】すごい!先生の楽健寺酵母から始まったんですね~。天然酵母という言葉が。
【宥厳先生】そうですね。そういうことから、その後、大分天然酵母というものを作る人が増えてきたんですけれども、実際は、インスタントイースト。要するに、添加物の入ってない酵母であれば、天然酵母パンだということで、通用するもんですから、だからそういうパンを、作って、売ってる人が多いんですね。だから、実際は、あんまり手間がかかって儲からないような仕事はしたくないっていう。
【MAYA】そう、そらそうですよね。みんな、持続可能なって思った時には利益も上げながら、ってこと普通ね、考えるもんですね。
【宥厳先生】だから私は、かなり、随分有名になってきたんですけども、有名になった割に何にも。
【MAYA】ふふふっ。手元には残していないというか。
【宥厳先生】残してもいないし、こう、なんかもう、ほんとの町工場の、未だに洒落たベーカリーが作れるでもなく、
【MAYA】工場という感じで、やってはるんですね~。
【宥厳先生】そう。
【MAYA】いやいや~。すごいですね。皆さんの意識が、ね、こう、目覚めるように、そのために奉仕してくださってる感じですかね。
【宥厳先生】しかし、最近は、あの、ホームベーカリーというのも普及してきて、それで、それでも焼けるということが分かってきましたので、
【MAYA】あ、楽健寺の酵母を使ったパンが?
【宥厳先生】そうですね。それで、かなり、作る人が増えてきて、Facebookでもそういうページができて、盛んに皆さんが作ったパンをアップしてくれたり
【MAYA】へぇ~。その、ページ名は何て。Facebook上では。
【宥厳先生】えー、楽健寺酵母パン研究会ていうな名前で。検索してもらったらすぐに出てきます。
【MAYA】楽健寺酵母パン研究会で、Facebook上で調べたら、パンのことについて知れるということですね。
【宥厳先生】そうそう
【MAYA】ねぇ、皆さんぜひ。私も帰ってから調べてみます。まだ見てないです。すいません。下準備が。
【宥厳先生】だからまあ、パンのことは、まーあのー、面白い、好きでやってるんですね。私はまあ、元々物づくりですので、
【MAYA】職人さんで?
【宥厳先生】家具を作る職人で、指物師という
【MAYA】指物師というんですか
【宥厳先生】それがもう、子ども、10歳のときから、私は指物師になったものですから、
【MAYA】ねぇ、すごい若くして、15歳?19歳ぐらいでもう40歳ぐらいの職人さんと同じくらいの月給をとって、家族を7名養っておられたという話を記憶してます。すごい腕前でうよね。
【宥厳先生】腕というよりか、運命ですね。
【MAYA】運命~。養わなければいけなかったっていう感じですか?
【宥厳先生】そう、そうそう。だから~、運命には逆らえないというやつですね。
【MAYA】ね、それにちゃんと手がついてね。
【宥厳先生】そう、そういうことから、いろんなことを手掛けるようになってきたんですね。
【MAYA】うーん、そうなんですね。なんか、ね、パンももちろんそうやって完熟っていうなんか本物パンで、体の管を通していってくれるような楽健法と同じような内側から、そういうのを扱っておられたりとか、ほんと沢山のね、引き出しあるんですけれども。一週目のときにね、先生、あのー、笛を、ネイティブアメリカンフルートを、吹いてね、素晴らしい音を聞かして頂いたんですけども、なんかその、先生の好きな音楽とかについても、お伺いしたいな~なんて。
【宥厳先生】あー、そうですね。まああの、私はね、きちんとした勉強を、なかなか、ようしないタイプで、つまりあの、学校で勉強するというようなことが,不得手なんですね。あぁ、音楽も自分で笛を作って、
【MAYA】へぇ~
【宥厳先生】吹いたりはするんですけど。
【MAYA】はい、いきなり作っちゃったんですか?
【宥厳先生】そうですね。楽譜が読めるわけでもないし、まあ、我流で楽しむだけのことなんですけど、
【MAYA】でも、素敵ですね。それができるってね。
【宥厳先生】まああの、今日も一本持ってきてますけど、横笛を初めて作ったとき、あるお寺に行き、山道を車で走りながら、生えてる竹を見つけて、車の中から、あの竹は笛になりそうだいうふうに、
【MAYA】見ただけで
【宥厳先生】そう見ただけで思って、それでノコギリ持って行って、笛を、竹を切ってきたんですね。
【MAYA】すごい思いつき。
【宥厳先生】しかしながら、笛というのがどういう風に作られているか分からないし。で、昔、インドに何回か行ったときに、お土産に一本だけ買ってあった。その笛を手に取って、ものさしでいろいろ測ってみたんですよ。穴の位置とか。そしたら、この穴の位置の決め方にはルールがあるということを発見したんですよ。
【MAYA】はい。
【宥厳先生】で、笛の穴の位置のルールを、見つけ出して、それで、自分の好きな長さに竹を切って、そのルールに従って穴をあけて吹いてみると、そしたら、ドレミファソラシドって音が出てくる。
【MAYA】すっごいですね。なんか、職人のなんかこう気質というか。素質?
【宥厳先生】それから、あの、面白くなって、いろんな長さの笛をね、だから僕は、調律がなんだとかいうのは一切わからないんですよ。
【MAYA】えー。
【宥厳先生】適当な長さに竹を切って、適当に、その法則に従って穴開けて、やるという。
【MAYA】あ~、ね、モットーは、ちゃらんぽらんですもんね。ふふふふふ。
【宥厳先生】それで、我流で音を出すっていう。だけのことで。
【MAYA】やあ、でも、適当って言葉が深みを持ちますね、先生が言うと。調度いいという感じのね。
【宥厳先生】それで、まあ、子どものときに、NHKのラジオで、笛吹き童子なんていう連続ドラマがあって、福田蘭童という人がいつも横笛のきれいな音を流していたんですね。それで、いつか僕もあんな笛を吹きたいなと思っていたのが、五十を過ぎて山で竹を見つけて、吹いたのが始まりで、それから僕も笛吹き童子になっちゃったんです。
【MAYA】はっはっは。いいですね、思いつきからこう、腕がついていてね。具現化して笛は出来るし、音は、ね、
【宥厳先生】そんなこんなで、我流で音を出すだけなんです。
【MAYA】へ~。
【宥厳先生】だから名曲を吹いてくださいなんてのは、楽譜見ながらやる、演奏するなんてのは出来ないです。
【MAYA】再演とかいう、あれじゃないですね。今ここに湧き起ってくるものを、はい。
【宥厳先生】そうそうそう。
【MAYA】管を通して通過させるみたいな感じですか。ね~。先生もいっぱい数奇な人生を送って、いらっしゃるようなんですけども。数奇な人生で、すごく影響を受けられた方がいらっしゃるとか。
【宥厳先生】あー、そうですね。あのー、例えばね、歌は、単に流行するだけのものでなくて、世の中を変えるような歌もある、というような歌にに出会ったことがあるということです。
【MAYA】へー、どういう歌ですか。
【宥厳先生】それはね、あのー、チリの歌手で、ヴィオレッタ・パラっていう作曲家で歌手で、それで、大学のプロフェッサーもしてたような、女流詩人がいるんですけども。彼女はね、とっても激しい人で、例えば自分が、どっかのバーみたいなところで、演奏会やって歌っているときに、自分の恋人が若い女を連れて向こうから入ってきたら、歌うの止めて降りて行って、女の子のほっぺたひっぱたいたりするんです。
【MAYA】すごいですね~。演出じゃなく。
【宥厳先生】なんか最後には、彼女ピストル自殺するんですけども。
【MAYA】うわ~。すごい発想。
【宥厳先生】そういう、ヴィオレッタ・パラのことを、私に教えてくれた人がいて、そういうことをちょっと詩に書いたりしたことがありますね。
【MAYA】へー、そう、先生ね、あの、元々、詩人でいらっしゃって、人生通してずっと詩を書かれて
【宥厳先生】どんな詩を書いたか、ちょっと読んでみましょうか
【MAYA】ぜひ。聞かせてください。
【宥厳先生】
見知らぬ人へ
まり子さんが、ヴィオレッタ・パラの詩集をくれた
彼女はトクータ・ゴルディージョというアルゼンチンの歌手を連れてきて
音楽会を寺でやった
彼のフォルクローレは 骨にも沁みた
ヌノさんという詩人が不意に死んで、追悼会があった
ギターを抱えた 月田秀子さんが、ひとつだけ歌を弾き語った
人生よありがとう こんなにも多くのものを私にくれて、と
トクータ・ゴルディージョが同じ歌を歌っていて
僕の五感にそれははまっていたのに
僕はそれまで知らなかった
その歌がピストル自殺を遂げたヴィオレッタ・パラの愛すべき哀しい歌であったことを
まりこさんのくれた 詩集の題名でもあったことを
それで僕は 一つ謎の解けた人生に 「ありがとう」と声に出して言うのだ
【MAYA】へぇ~、なんか登場人物まり子さんとか、ねえ。
【宥厳先生】このー、まり子さんというのが、たまたまねぇ、あの、パンを教えてあげて、ある店で、パンを焼いてた女の方なんですね。
【MAYA】あ、楽健寺酵母で
【宥厳先生】えぇ。その方が、そのパン屋さんを退職されて、九州に行って農業やるとか言って、帰りがてら私の家に寄ったんです。
【MAYA】奈良の桜井に
【宥厳先生】そうそう。で、このまり子さんは、アルゼンチンで、あの、いろいろ長年暮らしたもんですから、スペイン語が良くできる方ですけど、翻訳を今携わったりしたんですね。それで、このー、ところが、あの、この彼女が、トクータゴルディージョっていうアルゼンチンの歌手を東光寺に連れてきて演奏会をやったことがあるんです。
【MAYA】あぁ、先生のお寺に連れてきて。
【宥厳先生】ええ、この人は、銀熊賞なんかね、カンヌ映画祭で銀熊賞なんかを取ったりした作曲家なんですけど、
【MAYA】銀熊賞
【宥厳先生】はい。このー、人を、連れてきて、やって、歌を歌ってくれてたんだけど、その時は僕の頭に入ってなかったんですね。あの、言葉がわからないから。
【MAYA】ああ、なるほど。
【宥厳先生】ところが、ノノさんというのは、布村寛っていう、布村寛さんっていう友人の詩人で、この詩人が亡くなったときに、追悼会をのちにやったんですね。そしたら、大阪に住んでたフォルクローレの歌手の月田秀子っていう歌手が、ギターを抱えて、あのー、追悼会の席上で、舞台に現れて、私の一番好きな歌を歌いますといって、これを歌ってくれたんです。
【MAYA】へー、今の詩に、メロディーがついている。
【宥厳先生】そうそう、「人生よありがとう」っていう。それを、言語で歌ってくれたんですね。
【MAYA】はー、そうなんですね。
【宥厳先生】なんかあの、♪グラーシアス アラビーダ ♪ケミャダド タント
というような、歌なんです。
【MAYA】スペイン語
【宥厳先生】スペイン語。この歌がね、世界的に大きな影響を与えた歌で、それで、その後、南米のね、軍事政権をひっくり返す、革命にも、あのー、民衆に力を与えて、皆がこの歌を歌って戦ったという
【MAYA】ちょっと、要チェックですね。
【宥厳先生】そうそう。とても素晴らしい。
【MAYA】今、読んで。えっと、「人生よありがとう」っていうタイトル。
【宥厳先生】そうですね。
【MAYA】で、調べると、
【宥厳先生】でてきますよ。
【MAYA】youtubeとかで。
【宥厳先生】ええ、でてきますね。
【MAYA】チリの歌なんですね。ちょっと、歌詞の内容をね、じっくり、読んでみたいですね。それは。
【宥厳先生】まあ、人生、いろんなもの私にくれて、それはー、一人ひとりがいろんなものを人生から、いただいてるわけですよね。いただいてるんだけど、一つひとつのこと、目で物が見える、口で物が言える、
【MAYA】耳で
【宥厳先生】きこえる、手で触れる。そういうことが、すべてがね、ほんとにありがとうと、声を出して言わなくてはいけないような。そういう思いで作られた詩ですね。
【MAYA】ねー、それは味わいたいです。味わって、じっくりね、
【宥厳先生】そうですね。
【MAYA】うん、読ましてもらいたいと思いますね。へー、なんか、先生の人生観というか、大事にされてるものが、そこに集約されてる気がしますね。はい、じゃあ、それについてもね、調べて、あのー、見つけたやつを、Facebookの、私の番組ページにアップさせてもらいたいな、なんて思いまーす。
【宥厳先生】はいはい。ぜひそうしてください。
【MAYA】じゃあ、このあたりで、つぎのコーナーに移りたいと思います。
【MAYA】
はい、イベントインフォメーションのコーナーです。今日ご案内したいのは、ゲストでお越し頂いてます、山内宥厳さんのパンの方ですね。
今日のお話に出てきました、楽健寺天然酵母を使ったパンとパン種。えーと、まぁ、自分で作ってくださいねと、番組の中ではね、お話されていたんですけども、このパンは購入することもできます。そして、あの、パン種の方も。
えーと、楽健寺の天然酵母パンは、毎週月曜日に作って、その当日に発送されているそうです。そして、発送先というか、お問い合わせ先は、楽健寺、パン工房ですね。東大阪の方にあるんですけれども。ちょっと詳細は後で、番組のページの方にもあげたいと思います。えー、パン各種、詰め合わせ、いろんなパン、みんなめちゃくちゃ美味しいんですよ。これ私、いつもあるときは全部買って帰りたいんですけど、食パン、ブドウパン、ライ麦パン、全粒粉パン、ヨモギパン、ぷちパン。本物のパンって感じです。もう、体の反応が全然違うから、口に入れると。
で、詰め合わせセットが、5,500円で、割安で、送料とも。毎週月曜日の発送になります。パン種の方なんですけども、楽健寺天然酵母パン種、こちらは作り方レシピもついていて、送料込みで4,000円。こちらも毎週月曜日に発送しています。これはあの、一度購入すると、長く繰り返し自分でも作り続けていくことができるということなんでね、まあ、購入できますけども、先生側としては、皆さん一人一人が作れるようになってほしいなということで、レシピも全部公開されております。ぜひ、味見して、こんな美味しいパンがあるのかと体験してもらって、パン種も購入して作られたらなと思います。
【MAYA】はーい、あっという間にエンディングの時間が近づいてまいりました。今夜のゲストは、楽健法創始者の山内宥厳(やまのうちゆうげん)先生です。はい、二週連続で来ていただいて、いろんな、あの、先生のまだあけてない引き出しほんとたくさんあるので、なんか、まだまだ、聞いていたい話あります、また、ぜひ来てほしいなと思います。
【宥厳先生】よろしくお願いします。
【MAYA】あのー、先生に最後お聞きしたいいんですけども、あのー、人生の中で、こう、いのちが元気になるようなことを、毎週ひとつゲストさんにあげていただいているんですけども、今週もひとつお願いします。
【宥厳先生】この前も言いましたけどもね、ヘソの周りを、右回りに、寝る前でいいですから、布団の中に入って、200回お腹を時計回りに撫でる。
【MAYA】あー、なるほどね。
【宥厳先生】これをぜひ、毎日。
【MAYA】死ぬまで。
【宥厳先生】死ぬまで。どんな便秘の人でも必ず治ってきますし、病気しなくなります。
【MAYA】病気知らずの体になれるそうです。皆さん、これを聞いて、ぜひ今晩からやってくださいね~。今日もね、最後まで皆さんお聞き下さって、ありがとうございました~。
月田秀子「人生よありがとう」
ヴィオレッタ・パラ 「人生よありがとう」
楽健寺天然酵母パンのご注文は、下記連絡先へ。
郵便振替口座 (00990-7-72223 楽健寺)
パン送付時に振替用紙を同封しますので到着後お振り込みみください。
電話と電紙 06-7173-3878
月曜電話のみ 06-6781-7003(パン工房)
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天然酵母パンのブログ
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